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『騎士団長殺し 第Ⅰ部 第Ⅱ部』

「ハルキスト」と言われたら「そんなんじゃねーし」と、つい言い返したくなるのだが、その内実は十分ハルキストなので、当然ながらこの『騎士団長殺し』も発売当日に買って読み始めた。
冒頭からアンチ村上派からここが嫌いと指摘されているような象徴的描写の連続。
やれ食事がオシャレすぎる、キザったらしい翻訳文みたいな文章、男にとって都合のいい女ばかり出てくる、ところどころに出てくる具体的な性描写が苦手、などなど。
そう言われてみれば、大抵、食事はスパゲティーかサンドイッチにサラダ、クラッカーにちょっと古くなったビスケット、それにワインかスコッチ、シングルモルトのウィスキーか発泡酒じゃないビール。
でも毎日カップラーメンか焼きそば食ってるのがリアリティーかというと、それはそれで違うわけだし、小説のキャラ設定もあるので、食事に関してはそんなに拘る必要はないんじゃないのかなぁ、と思っている。
性行為の描写に関しては、どうしてそこまで具体的に書くのかという疑問は僕自身確かに持っていた。でも、それは村上さんに聞いてみなければ分からない。
あとは、難しくて理解できない、という意見も多いらしいけど、それは読者の問題だしねぇ。わかんないものを無理に読む必要もない。つまりは本の中にも出てくるが「買い手責任(caveat emptor)」であって、売り手(書き手)の問題ではない。
 
主人公は画家。人に頼まれて肖像画を描いている。肖像画の評判が良く、エージェントから依頼される肖像画を描くだけで、取りあえず生活に困ることはない。
ところが6年間連れ添った妻に、突然「好きな人ができた」と別れを切り出され、わけも分からず家を飛び出す羽目になる。行き先も決めず日本各地を放浪した後、友人の伝で、その父が小田原の山中で絵画制作のスタジオ兼住まいとしていた一軒家を借りて落ち着く。駅前の絵画教室にアルバイトの職を得、細々とした孤独な一人住まいが始まる。
主人公が家を借りている某著名画家(友人の父)は、いまは認知症が進み自他の区別もつかなくなって介護施設に入れられているのだが、主人公が、その家で、人の目から隠すようにこっそり屋根裏部屋に置かれていた「騎士団長殺し」と名付けられた絵画を見つけ、さらに謎多き隣人たちと関わり始めたところから、様々に奇異な現象が彼の身の回りで起こり始める。
ざっくりした感想を言えば、オーソドックスな村上ワールドであり、とても面白い。
一見、突拍子もない設定や出来事の描写で構成されているが、それが彼の持ち味だし、物語として違和感を感じる部分もない。
 
今回気になったのは、男女問わずファッションの描写が多いことだった。どんな生地のどんなデザインのものを着ている(た)か、またそれがその場でどんな雰囲気を醸し出している(た)か、細かく描写している。その場で登場人物がどんなデザインの何を着ているか、しつこいぐらい、こだわりを持って説明している部分が多いのが気になった。
 
死に近づきつつある老齢の著名画家は、第二次世界大戦の直前、ウィーンに留学していて、ナチス高官の暗殺計画に関与し、日本に強制送還された過去を持つ。その時、同志で恋人でもあった女性は処刑された。また彼の弟は、南京制圧に際し、民間人の断首を上司に命じられ、帰国後そのトラウマから精神を病み自殺している。太平洋戦争での南京事件を既存のものとしてエピソードに加えているのだが、一部の人たちの間では、これが物議を醸しているようだ。最近の歴史的検証の観点から間違った印象を読者に植え付けると、一部の右翼がネットで非難している。百田氏などは「中国人の人気を得てノーベル賞を取ろうと思っている」などと中傷しているほど。
ただ小説なんでねぇ。フィクションなわけだから、何を書いても自由でしょ、それは。そういうところで揚げ足とるような発言をするのは了見が狭いというものだ。
 
第一部、第二部ともに、どこを切っても村上春樹というような作品だった。