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『後妻業の女』

黒川博行の小説は大体そうだが、結局のところ内容が残酷だったり猟奇的だったりしない。
疫病神シリーズにしても半端なヤクザとその悪さに付き合わされるしょうもないチンピラくずれが出てくるだけで、喧嘩は派手だが、あまり人がバタバタ死んだりはしない。
『後妻業の女』も、死にそうな爺さん内縁関係になり財産を巻き上げることを生業にしている悪党の話だが、その家族からそれほど恨まれることもないし、大竹しのぶを操っている豊川悦治も間抜けな悪党の域を出ない。
映画は原作よりコメディー色が強い。本の方は、もうちょっと事件性が高いというか、現代社会の問題点の一つとして示されている感じがある。
大竹しのぶは、僕は(見た目が)嫌いなので、これが別の女優だったらもっと面白く見られたかも知れない。演技力とかそういう以前に生理的に受け付けない。若い頃は可愛かったので、年をとってあんな容貌になるとは思わなかった。
あとはEテレのハートネットTVにもレギュラー出演し、何となく知性と福祉の人というイメージの強い風間俊介が、ものすごく頭の悪いガキ(大竹しのぶの息子)を一生懸命演じているのが面白かった。

『ハテノウタ』劇団MONO

ハテノウタ、劇団MONO、東京芸術劇場、シアターウェストで鑑賞。3月25日(土)19時開演。
いつものように劇団に用意していただいた車いす席に妻と共に案内される。
なにか薬を飲むと若い身体を維持し続けられるが、99才になると自動的に死ななければならないシステムになっている世の中らしい。当日、“コンフォート(安楽死)室”に行かなければならない友人のために、高校のとき吹奏楽部で一緒だった仲間がお別れ会を開く。
場所は高校の教室を模したカラオケルーム。みんな若さを保つ薬を飲んでいるので、見た目は高校生の頃のまま。
男女交えて9人。高校時代の記憶を話しているうちに、それそれの記憶が微妙に違っていたりすることに気づき、雰囲気もギクシャクしてくる。双子の妹が仲間の中にいるクニさんだけは、当時のゴタゴタの影響から、仲間のクニさんが“ハテ”の歌をカラオケで歌う中、金替康博氏は一人コンフォート室に向かうのであった。
 
今回の作品は、今までの作品と違い、やや実験的要素が入っていたと思う。何曲かオリジナルの曲を歌う場面が入ったり、一貫したメッセージのようなものは感じられなかった。
僕自身はやっぱりオリジナルの俳優5名の、当て書きっぽい会話劇のスタイルが好きだ。女優さん達が入ってくると、その絶妙なバランスに若干の狂いが生じるような気がする。
 
昔、カクスコの芝居を好きでよく見に行っていた。あそこは男6人だったか。先日メンバーだった、井之上隆志氏が亡くなってしまったが、いつ見に行っても同じスタイル、同じメンバーで安心して見に行けた。2002年に解散してしまいもう見られないのかと思うと残念だった。いつもハズレがなくて安心して観に行けたし、その後、中村育児を始めメンバーもTVがメインの仕事場になってしまったが、劇団は劇団で続けてほしかった。
 
公演後のトークショーに招かれていた劇団iaku横山拓也氏も言っていた通り「僕はMONOのファンなので、このままずっと続けてほしい。試してみたいことがあったら、別の場所でやったらいい」みないなことを言っていたけれど、僕もまさにそう思う。
どうやら土田英生氏は同じ事を30年近くやってきてしまったらお客さんの側が飽きてしまうのではないかと思っているらしい。でもたぶん絶対にそんなことはない。飽きてしまうのは主に作り手の側なのだと思う。
次回作の話も少し出ていたけれど、また来年の公演はどうなっているのか楽しみです。

『騎士団長殺し 第Ⅰ部 第Ⅱ部』

「ハルキスト」と言われたら「そんなんじゃねーし」と、つい言い返したくなるのだが、その内実は十分ハルキストなので、当然ながらこの『騎士団長殺し』も発売当日に買って読み始めた。
冒頭からアンチ村上派からここが嫌いと指摘されているような象徴的描写の連続。
やれ食事がオシャレすぎる、キザったらしい翻訳文みたいな文章、男にとって都合のいい女ばかり出てくる、ところどころに出てくる具体的な性描写が苦手、などなど。
そう言われてみれば、大抵、食事はスパゲティーかサンドイッチにサラダ、クラッカーにちょっと古くなったビスケット、それにワインかスコッチ、シングルモルトのウィスキーか発泡酒じゃないビール。
でも毎日カップラーメンか焼きそば食ってるのがリアリティーかというと、それはそれで違うわけだし、小説のキャラ設定もあるので、食事に関してはそんなに拘る必要はないんじゃないのかなぁ、と思っている。
性行為の描写に関しては、どうしてそこまで具体的に書くのかという疑問は僕自身確かに持っていた。でも、それは村上さんに聞いてみなければ分からない。
あとは、難しくて理解できない、という意見も多いらしいけど、それは読者の問題だしねぇ。わかんないものを無理に読む必要もない。つまりは本の中にも出てくるが「買い手責任(caveat emptor)」であって、売り手(書き手)の問題ではない。
 
主人公は画家。人に頼まれて肖像画を描いている。肖像画の評判が良く、エージェントから依頼される肖像画を描くだけで、取りあえず生活に困ることはない。
ところが6年間連れ添った妻に、突然「好きな人ができた」と別れを切り出され、わけも分からず家を飛び出す羽目になる。行き先も決めず日本各地を放浪した後、友人の伝で、その父が小田原の山中で絵画制作のスタジオ兼住まいとしていた一軒家を借りて落ち着く。駅前の絵画教室にアルバイトの職を得、細々とした孤独な一人住まいが始まる。
主人公が家を借りている某著名画家(友人の父)は、いまは認知症が進み自他の区別もつかなくなって介護施設に入れられているのだが、主人公が、その家で、人の目から隠すようにこっそり屋根裏部屋に置かれていた「騎士団長殺し」と名付けられた絵画を見つけ、さらに謎多き隣人たちと関わり始めたところから、様々に奇異な現象が彼の身の回りで起こり始める。
ざっくりした感想を言えば、オーソドックスな村上ワールドであり、とても面白い。
一見、突拍子もない設定や出来事の描写で構成されているが、それが彼の持ち味だし、物語として違和感を感じる部分もない。
 
今回気になったのは、男女問わずファッションの描写が多いことだった。どんな生地のどんなデザインのものを着ている(た)か、またそれがその場でどんな雰囲気を醸し出している(た)か、細かく描写している。その場で登場人物がどんなデザインの何を着ているか、しつこいぐらい、こだわりを持って説明している部分が多いのが気になった。
 
死に近づきつつある老齢の著名画家は、第二次世界大戦の直前、ウィーンに留学していて、ナチス高官の暗殺計画に関与し、日本に強制送還された過去を持つ。その時、同志で恋人でもあった女性は処刑された。また彼の弟は、南京制圧に際し、民間人の断首を上司に命じられ、帰国後そのトラウマから精神を病み自殺している。太平洋戦争での南京事件を既存のものとしてエピソードに加えているのだが、一部の人たちの間では、これが物議を醸しているようだ。最近の歴史的検証の観点から間違った印象を読者に植え付けると、一部の右翼がネットで非難している。百田氏などは「中国人の人気を得てノーベル賞を取ろうと思っている」などと中傷しているほど。
ただ小説なんでねぇ。フィクションなわけだから、何を書いても自由でしょ、それは。そういうところで揚げ足とるような発言をするのは了見が狭いというものだ。
 
第一部、第二部ともに、どこを切っても村上春樹というような作品だった。

『コンビニ人間』

内容(「BOOK」データベースより)
36歳未婚女性、古倉恵子。大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしいと突きつけられるが…。「普通」とは何か?現代の実存を軽やかに問う衝撃作。第155回芥川賞受賞。
 
「普通」に生きるというのは難しいものです。世間では、ある程度の年齢になれば結婚して家庭を持ち、子供を産み育てるのが「普通」であり、仕事で言えば正社員として職に就いて年齢に見合った収入を得るのが「普通」。「普通」でないものは「欠陥品」とされ、世間はその欠陥がどこにあるのか探そうとします。そして、その欠陥が世間が納得するようなものであれば見逃してくれますが、解らない、理解できない、あるいは人格や性格そのものに欠陥がある、ということになると、今度は奇異な存在として、社会不適合者というレッテルを貼られます。そこからイジメや差別が生まれ、そういう「普通」でないものは社会から排除されていきます。
じゃあ「普通」でない人が「普通」になるためにはどうしたらいいのか。歪な社会の様相が、コンビニという舞台で描かれているのが、この『コンビニ人間』です。