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『永い言い訳』

西川美和の小説で彼女がメガホンを取った映画。主演は本木雅弘
キャスティング自体は小説を読んで想像していたのとあまり違和感はなかった。
深津絵里堀内敬子もピッタリだし、竹原ピストルもトラックの運転手がよく似合っていた。
敢えて言うならモっくんにやや違和感を感じる。じゃあモっくんでなければ誰?と言われたら、それもあまり浮かばないのだけれど、福山雅治あたりでも良かったような気もする。
モっくん演じるのは、ちょっと小説が売れたことで調子に乗って芸能人気取りの振る舞いをしている軽薄な男だが、ハンサムで、髪が伸び放題になって汚くなっても何となくフェロモンが漂ってくるような40代男。
どこかにいないですかね。本木雅弘福山雅治も個人的にはあまり好きではないので、他に誰かいないかなぁと思いながら、ついつい見てしまいました。
本木雅弘はとにかく性格の悪いすげーヤなヤツ。
そして、モっくんの妻である深津絵里は仲良しの堀内敬子と旅行に行くが、そのバスが事故を起こし湖に転落して唐突に死んでしまう。彼女が事故で命を落とした正にその瞬間、モっくんは愛人の黒木華を自宅に呼んでやりまくっていた、という設定。その後、深津絵里と一緒に死んでしまった堀内敬子の旦那の竹原ピストルが生活に困っているのを見て、竹原が留守の間、二人の子どもの面倒を見ることを安請け合いしてしまう。
子どもたちや竹原らとの交流を通じ、モっくんの中に自分の今までの生き様はなんだったのだろう、という思いが湧いてくる。深津絵里の遺品で水に浸かって壊れてしまったスマホが一瞬息を吹き返し、「もう愛していない。ひとかけらも」と書いてある自分あての未送信メールを見つけてしまうというエピソードなどが挟まれながら、物語は進んでいく。
世間的にはどう見ても竹原の方が真面目で真っ当な生き方である。けれど、ただ単純に奔放で不道徳な生き方をしているモっくんに「もっとマジメな生き方をしようよ」ということを言っているのではない。
確かに結婚して子どもを産み、育て、自分たちはその同じ時間の中で一緒に年老いていく。そういう生き方が恐らく人間として最も真っ当な人生と言える。
でも人の生き方は様々だ。真っ当な生き方を望んでも、どうしてもできない人間もいる。敢えて、そういう真っ当な生き方を選択しない者もいる。そういう人間はいわゆる世間で言うところの真っ当な生き方や価値観を押しつけられても、そういうふうには生きられないので困るだけだ。
それに正直、何が真っ当かなんてわからない。それを考えさせられる映画だった。

『SEVEN』

デヴィッド・フィンチャーの作品では、『ベンジャミン・バトン 数奇な運命』が最高の作品だと僕は思っている。
そして、この『セブン』を見たときは余りの救いのなさに愕然とした。
けれど内容が濃いので、繰り返して見ても面白いし、その都度鑑賞に堪える映画だ。
キャスティングの妙もある。慎重で知性的、終始落ち着いた行動を取る刑事のモーガン・フリーマンとその真逆の性格のブラッド・ピット。ブラピの妻を演じる繊細な雰囲気のグウィネス・パルトロウ
舞台になるのは、いつも土砂降りの雨の降っている暗い街。シカゴだか何だか多分そんな感じの街だ。
 
この映画の中で一番好きなシーンは、薄暗いカフェで、無鉄砲ですぐに感情的になる子供っぽいブラッド・ピットが心配だ、とグウィネス・パルトロウモーガン・フリーマンに相談するシーン。
グウィネス・パルトロウブラッド・ピットの子を宿したことを打ち明けられずにいた。
産んだ方がいいのか産まない方がいいのか。こんな危険で救いのない世の中に、子供を産んでいいのか、というような意味の相談をする。
モーガン・フリーマンは彼女の話を黙って聞き、産まないなら妊娠のことは言うな、と言う。
ももし産むのなら精いっぱい甘やかして育ててやれ、とアドバイスする。またいつでも相談に乗るよ、と。
モーガン・フリーマンの他者に対する優しさが伝わってくる、この映画の中で唯一救われるシーンだ。
ケヴィン・スペーシーのサイコキラーもはまり役。
リアリティーがありすぎて怖い。

『エベレスト 神々の山嶺』と『海よりもまだ深く』

共通している出演者は阿部寛だが、演じている役柄は180度違う二本。

 

『エベレスト…』の方は、狂気とも言える情熱を以て、敢えて前人未踏の危険なルートでエベレスト単独登頂を目指す他を寄せ付けない雰囲気を醸し出す孤高の山男。

片や女房に愛想を尽かされ、子どもの養育費も払えないほど貧乏な売れない小説家。ギャンブルにも目がなくて、悪徳探偵社でのアルバイトが主な収入源。独り暮らしの母親の年金まで当てにする、どうしようもない中年男を演じているのが『海よりも…』

とにかく頼りない男の役柄なのだが、どちらの阿部寛が好きかと言われれば、考えるまでもなく『海よりも…』の方である。

阿部寛はやっぱりコミカルな役柄でこそ、彼の持ち味が発揮される、と僕は思っている。

『新参者』の真っ当な刑事役も良かったが、それよりはバチスタシリーズの食えない変人厚労省キャリアとか、『結婚できない男』の捻くれた建築家、『ゴーイング・マイ・ホーム』や『歩いても、歩いても」の頼りなく、ちょっと冴えないお父さんといった役柄で、その存在が映える。『テルマエロマエ』はちょっとやり過ぎの感がある。

『エベレスト 神々の山嶺』では、とにかくあんな極限を超えた苦難や苦痛を乗り越えてまで山を登ろうとする登山家の心理とはいかなるものか、ということを考えざるを得ない。

結局のところは死にに行くようなもの。自分のすぐ隣りに死があるという状況には中毒性があるのだろうか。

当作でも阿部寛は登頂を果たせず、山頂付近の岩陰で凍りつき死ぬことになる。

その他にも風間俊介がパートナーに負担をかけないよう自分でザイルを切って落ちていったりするエピソードも描かれているし、実際にもそういう場面があると聞く。

まさに死と隣り合わせの状況で、それを超えた先に一体何があるのか、僕は見たことがないのでわからないが、敢えて見たいとも思わない。それが「山男にゃ惚れるなよ」の所以か。

あ、岡田准一に触れるの忘れた。

『SCOOP!』

正直言うと、あまり面白くなかった。大根仁だし、面白いだろうと自分でハードルを上げてしまったからかも知れないし、福山雅治という人物があんまり好きじゃないってこともあるかも知れない。
台詞に下ネタが多すぎて、あれじゃあつきあい始めぐらいの、若いカップルとかが、映画館へ一緒に見に行ったら、観た後ちょっと変な空気になっちゃうかも、と心配した。そんなの大きなお世話か。
1985年公開の原田眞人の『盗撮ほにゃらら』のリメイクだそうだが、何回も使い回すほどのネタかな、という気がした。

車いす

そうなんです。私は訳あって4年前から車イスに乗っています。
病気でどうしても切らなければいけなかったのですが、足を切断したときは、ああ俺の人生もう終わったな、と正直思いました。
でも主にはもちろん妻ですが、医療関係者や、職場の人たちやらの支えと助けがあって、何とか、元の生活の80%ぐらいのことは自分の力でできるくらいまでになりました。
でも身体面では80%ではあっても、精神的にはまだ20%ぐらいしか回復していません。4年も経ったのにです。まだ人前に自分の障がい者としての姿を晒すのが怖かったり、恥ずかしかったりします。
他人の目が気になります。義足を着けているので、見た目はよく見なければ分からないのですが、まだ義足ができる前、片足で車いすに乗っているときは、二度見されたこともありました。
他人の目を気にしてしまうということは、僕自身が健常者であったとき、障がい者を、差別的な目で見ていたからだと思います。
そりゃ、身体の一部がなかったりしたら一瞬ギョッとするのは当たり前で、それが「普通」の人の感覚です。
身体は障がい者になってしまったのに、まだ精神的には健常者の気分が抜けない。いまだに身体と心の折り合いが付けられない状態にあるのだと、自分では思っています。
人間というのはかくも身勝手なものかと自分自身、驚いています。

『ふきげんな過去』

『ふきげんな過去』
実は去年、劇場に見に行っているのだけれど、車いす席があまりにもスクリーンに近くて画面が見えず、何だか分からなかったので、テレビで再見した。
劇場ではスクリーンに圧倒されて分からなかった台詞の面白さ、ストーリーの面白さも、今回はよくわかった。
日常の中であたかも自然発生的に生じる不条理な出来事の風景。
 
前田司郎の書いたものに良く出てくるのは「未来って過去でしょ」という概念です。未来は過去の経験から想像するしかない。つまり自分が想像する未来は自分の過去の域を出ない。そうすると「未来って結局過去でできてんじゃん」ということになる。
今回ふと思ったのは、僕は小泉今日子ってあんまり好きじゃないんじゃないか、ということ。そう考えてみると、彼女がデビューした当時もそれほど可愛い子が出てきたという印象がないし、当然そんなに夢中になった記憶もない。デビュー当時からそんなに刺さらなかったということではないか。あまちゃんに出てきたときもやっぱり薬師丸ひろ子の方が女優としては格上という感じがしたし、個性が強すぎるのか、何に出てきてもそれは小泉今日子本人であって、作中の人物になっていないような気がするのである。
というわけで今作の拾いものは俳優でいえば、高良健吾かな。彼は何に出てきてもミステリアスな雰囲気も相まって、見ていて飽きない。

『シンゴジラ』

いろんな役者が出てましたね。二三秒しか出ていなかった人も含めると、何人出ていたのか。
ゴジラは最初出てきたとき何とも気持ち悪いブヨブヨした生き物で「なんじゃこりゃ」と思った。
一回海に引っ込んで、次に出てきたときはだいぶ見慣れたゴジラの形に。
ゴジラを倒そうとする政府の官僚たちはみんな無表情で早口。「結論を早く出さねば」と言いながら、根回しと会議はしなくちゃならない。
総理大臣にも、事実上専権事項がないというのは情けない。なんでも「総理、ご決断を」と言われ、責任だけは取らされる。「オレが決めたわけじゃないのになぁ」というのは、まあどの世界でもよくあること。
そして気がつけば不覚にも寝落ち。丁度、核爆弾ではなく血液凝固剤で殺そうということになり、それを投与するというあたり。まあ一番のクライマックスだったかも知れないので、庵野秀明には申し訳ないことをした。
昔の怪獣映画は、CGはさすがにショボかったけど、僕が子どもだったせいもあるとは思うが、迫力とかリアリティーは『シンゴジラ』の比ではなかった。
日系人で米政府高官の役で出ていた石原さとみはあまり似合ってなくて、一人浮いている感じがしました。やっぱり美人だから?というか美人過ぎるのかな。他の出演者との統一感がなくて、違和感を感じました。